第8章ラオス現代教育制度の変遷.pdf
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山田紀彦編 『ラオス チンタナカーン?マイ(新思考)政策の新展開』調査研究報告書 アジア経済研究所 2010 年
第8章
ラオス現代教育制度の変遷
-量的拡大の実態を中心に-
オンパンダラ パンパキット
要約:
ラオスの教育制度は、1975 年以前のフランス植民地時代、および、内戦時代におい
てほとんど整備されなかった。その状況から一転し、1975 年以降は教育整備が急速に
進められた。本稿は、1975 年以降のラオスにおける教育制度の整備状況を、大きく 3
期に区分し、その量的拡大の実態を中心に整理することを目的とする。第 1 期は、教
育制度整備の基礎が建設され、量的に飛躍的に普及した 1975 年~1985 年、第 2 期は、
新経済管理メカニズム導入に伴う教育指針の転換により、教育制度の再編成を行った
1986 年~1995 年、第 3 期は、援助の拡大や私立?高等教育機関の増大により、教育制
度整備が再び加速した 1996 年~現在である。本稿は、ラオス現代教育が量的拡大を急
ぎ、質的改善がされない背景を、1975 年以前の基礎教育の未整備と 1975 年以降の新
経済管理メカニズムに伴う教育指針の転換に大きく関わっていることを示す。
キーワード:
教育制度 教育の機会 教育の質 ラオス
はじめに
本稿は、1975 年以降のラオス現代教育制度の整備状況を整理し、量的拡大の実態を
示すことを目的とする1。ラオスの教育は、アジア諸国の中でも低開発の状態にある。
その理由は、歴史的?政治的?地理的?人口的?民族的?文化的諸要因が複合してお
り、複雑である 2 。ラオスの教育制度の変遷について扱った主な文献は、
Pathammavong(1955)、 Langer (1971)、Chagnon and Rumpf(1982)、ADB (1993, 2000)、
PSC-MSV (1994)、Thant and Vokes (1997)、Evans (1998, 2002)、豊田(1999)、乾(2004)、
瀧田(2005)、矢野(2007)などが挙げられる。これらの先行研究は、教育史における特
定の時代、あるいは、分野の「教育政策の変遷」を扱ってきたが、実態については断
続的?部分的にしか捉えていない。ラオス現代教育制度の整備状況を正しく理解する
ためには、まず、ラオスの教育史を植民地以前から振り返ることは必要不可欠である。
特に、現在のラオス教育の起源は、フランス植民地時代に始まった学校教育にあり、
植民地期の教育制度の整備状況を把握することは重要である。
そこで、本稿の前半では、1975 年以前のラオスにおける教育制度の変遷を整理し、
その教育整備の実態をまとめることに重点を置く。第 1 節では、ラオス伝統的教育か
ら、フランス植民地時代までの教育を振り返り、近代的教育制度が整備された過程を
簡潔に整理する。第 2 節では、内戦時代の教育制度整備を概観する。内戦は、ラオス
王国政府とパテート?ラーオ3によって戦われ、それぞれの支配地域で異なる教育整備
が行われた。したがって、内戦時代の教育整備については、王国政府側とパテート?
ラーオ側それぞれについて検討する。
1975 年以前の整備状況から一変し、1975 年以降は教育整備が急速に進んだ。第 3 節
では、ラオス人民民主共和国建国以降に進められてきた教育制度について、整備の実
態に基づき大きく 3 期に分け整理する4。第 1 期は、1975 年から 1985 年までであり、
教育制度の基礎が建設され、量的に飛躍的に普及した時期であり、第 2 期は、新経済
管理メカニズム導入に伴う教育指針の転換により、教育制度の再編成を行った 1986 年
から 1995 年、そして、第 3 期は、援助の拡大や私立?高等教育機関の増大により教育
制度整備が再び加速され、量的に拡大した 1996 年から現在である。
本稿は、チンタナカーン?マイ以降の教育制度整備の変遷を整理し、その量的拡大
の実態を示す目的でスタートしたが、ラオス現代教育が量的拡大を急ぎ、質的改善が
されない背景を 1975 年以前の基礎教育の未整備と 1975 年以降の新経済管理メカニズ
ムに伴う教育指針の転換と大きく関わっていることがわかってきた。「おわりに」では、
最終報告書に向けた課題を述べて結びとする。
ラオスでは、フランス植民地時代になるまで、近代的な学校教育が整備されなかっ
た。以下では、伝統教育からフランス植民地時代の近代教育の導入の歴史を概観する。
第 1 節 伝統的教育とフランス植民地時代の教育
1.伝統教育
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