北海道大学経済学部2008年度讲义.doc
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北海道大学経済学部2008年度講義
政治経済学Ⅱ
-講義ノート-
目次
Ⅰ.政治経済学への案内 p.2
Ⅱ.国家と市場,そして経済社会 p.6
Ⅲ.生産の経済学 p.24
Ⅳ.グローバル?エコノミーの形成?展開と問題の再定義 p.40
佐々木隆生
北海道大学大学院公共政策学連携研究部教授
sasakit@econ.hokudai.ac.jp
Office E515, Tel 706-3172
Ⅰ.政治経済学への案内
1. 政治経済学Political Economyとは何か?
政治経済学とは何か?一体,それは「経済学Economics」とどのように違うのか?
リカードゥやJ.S.ミルの著作はprinciples of political economyという言葉を中心に含んでいる.政治経済学という言葉は,本来は経済学そのものを示す言葉であった.「エコノミーという言葉はオイコス-家と,ノモス-法からきたもので,元来は家族全体の共同利益のためにする賢明にして法にかなった家政を意味するものでしかない.この言葉の意味は,そののち国家という大家族の管理にまで拡張されることとなった.???後者の場合を一般経済または政治経済と呼び???」とJ. J. ルソーの『政治経済論』の冒頭にある.この場合,政治politicalとは,家domestic societyとは区別された公的社会political societyに関連することを意味し,国家に枠づけられた公的社会の経済について研究するという意味が政治経済学という言葉には込められている.
アルフレッド?マーシャルは,経済学を近代社会科学の母体であった哲学から分離して一種の経験科学として独立させようという意味をおそらく込めてpolitical economyではなくeconomicsという言葉を使用することになったが,経済学の性質がそれによって変化したわけではない.家社会ではなく政治社会=市民社会あるいは国家を枠組みとする一般社会に関わる経済学というのが,本来の「政治経済学」である.
2. 二つの経済学-交換の経済学と生産の経済学
(1)「交換の経済学」
マーシャルがPrinciples of Economicsと主著に題するように,経済学がeconomicsになっていった過程にはそれなりの意味がある.現代の主流派経済学-新古典派経済学は,市場における「交換」の分析に寄せ,市場が自立して資源配分と所得分配とを効率的に達成することを分析の中心としてきた.ミクロ経済学が消費者行動理論から始まり,一般均衡に至る基本骨格を有しているのはこのためである.そうした経済理論が,自己完結する市場社会像をもたらしたことは疑い得ない.
こうした経済学にあっては,政治経済学は,政治や制度をミクロ経済学の手法-限界分析やゲームに基づく「最適化」を軸に探求するという性格をもつ.こうしたミクロ経済学の手法による分析の経済領域以外への拡張は,「新政治経済学」に先行して「教育の経済学」,「犯罪の経済学」などで展開し,今日では「制度の経済学」に及んでいる.それらは,ミクロ経済学が包括しない諸領域の解明に向かう積極性を有するとともに,それらの諸領域をミクロ経済学の手法の枠組みの中に押しこめるという問題を有する.
(2)「生産の経済学」
経済学には,「交換の経済学」とは異なる系譜の経済学が存在してきた.そもそも「政治経済学」として出発した古典派経済学は,交換の経済学である以上に「生産」の経済学であった.
経済学の生誕は,およそ2つの基盤をもっている.1つは,「市場」の発展であるが,もう1つは①科学の応用に基づく産業的(industrial)生産力の発展が「余剰surplus」をもたらすようになったこと(industrialismⅠ),並びに②余剰が消費され尽くされずに,多かれ少なかれ「資本capital」として「投資investment」に回り,その結果として複利あるいは幾何級数的に生産が拡大したこと(industrialismⅡ,capitalism Ⅰ),③そのような資本の成長=蓄積が,市場=社会的分業を通じる「生産と消費の直接的同一性」の破壊を媒介に,個人的消費の制約から一定程度独立して展開してきたこと(capitalism Ⅱ)を反映するものであった.④そして,そうした経済学は,市場の力の解放に基づく(A. Smith, D. Ricardo, J. S. Mill)にせよ,資本主義の矛盾?緊張の結果を展望するにせよ(K. Marx, J. M. Keynes),現存する政治社会の構造と経済社会の関係を洞察し,適切な経済政策?制度の変革を提唱した.
こうした経済学の系譜に属する人々は,新古典派が主流派経済学としての位置を
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