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アルジェリア戦争以降の思想
-ファノン、サルトル、フーコー、サイード-
加 國 尚 志
純粋に思考の宇宙の中に生きているように見える哲学の言説も、歴史的な事
件と無縁ではありえない。たとえばルネサンスの人文主義が宗教改革のような
一連の事件を抜きには、また啓蒙主義の思想やドイツ観念論の思想などがフラ
ンス革命という大きな事件を抜きには、その歴史的な位置づけをうまくできそ
うにないことは、誰もが認めるであろう。同様に、二十世紀のさまざまな哲学
にも、たとえば第一次大戦、ロシア革命、第二次大戦などといった歴史的大事
件と深く関わる面があることを指摘するのは、それほど困難なことではあるま
い。たしかに、哲学史は世界史そのものではないし、世界史が哲学史と対応し
ているわけでもない、ということは本当である。単純な反映説を採用するので
もなければ、哲学にはその内的動機があること、そのいくつかの問題は世間的
な出来事とは無縁なものであって、哲学者は、世間の人々から離れて、自分自
身の思索と言語の宇宙に身を退いており、したがって哲学は哲学そのものから、
少なくとも哲学の著作そのものから理解されねばならない、ということは認め
ねばならない。哲学を一つの「世界観」(Weltanschauung)として見ようとす
る歴史主義や、哲学を哲学者の置かれた歴史的状況への心理的な反応に還元し
てしまう心理主義は、結局哲学をその思考そのものにおいてとらえることに失
敗してしまう。哲学が自立的な学問であることを認めるならば、歴史主義や心
理主義からの「説明」は、哲学の中に入ることをせず、哲学を他の説明方法に
移し替えてしまったにすぎないことは、直ちに理解されよう。
しかし他方で、「哲学のための哲学」を信じるとしても、その哲学が展開さ
れた時代の「問題状況」が理解されなければ、後の時代の人間はきわめて主観
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的な誤解を冒してしまうだろうし、哲学が歴史に対して超越的な位置を持つと
は言っても、解釈学がわれわれに教えたように、解釈者の解釈の地平と、解釈
されるテクストの持つ地平との間に緊張関係や地平の融合が生じるのでなけれ
ば、そこにはまた十分かつ豊かな了解が生じるとは思われない。哲学者もまた
「書く人」であった以上、誰かに向けて書いているのである。哲学の歴史的な
整理には常に限界があるが、同時に、この限界を冷静に見極めつつ、解釈に有
効な準拠系を摘出することは、個人の営為を超えた思想の歴史を了解するため
の全体的な連関を見渡す指標を得るために必要な作業であると言える。マック
ス?ヴェーバー以来言われてきたことではあるが、歴史の了解のためには、や
はり「理念型」は有効であって、理念型に基づく解釈を一種の背景知としなが
ら、複数の、一見対立するように見える諸思想に共通の傾向を発見することが
必要であろうし、諸思想の「布置」(configuration)が得られてのみ、各思想
の「偏差」(déviation)が理解されるであろう。
二十世紀後半のフランス思想(あるいはフランス哲学)を歴史的に俯瞰して
みようとするなら、少なくとも一度は、それらの思想が発生してきた歴史的状
況について思いを向けてみる必要があるだろう。ここでは、それを「アルジェ
リア戦争」という出来事に求めてみたい。たとえば一九七〇年代以降のアメリ
カ合衆国の諸文化?思想動向を理解するときに「ポスト?ヴェトナム」という
括り方がなされることは、すでに一般的になっている。哲学や思想のように高
等な教養文化に属することではなく、たとえばロック音楽のような大衆文化の
伝播を取り上げてみるだけでも、そこにヴェトナム戦争のような巨大な出来事
があったことを見落とすことはできないだろう。もちろん文化の発生構造の多
様性-たとえばコミュニケーション?メディアとテクノロジーの決定的変容、
資本主義と文化産業の発展-を考慮に入れれば、事態を単純化してしまうこと
はできないわけだが、それでもある文化の生成構造に歴史的な出来事が関与し
ていることは否めない。構造と事件は単純に対立させることはできない。ハイ
デガーが巧みに語ったように「気分」(Stimmung)として、一種の雰囲気のよ
82 立命館大学人文科学研究所紀要(85号)
うに出来事が生きられることを認めるべきであろう。
周知の通りフランスは、ヴェトナム戦争に先立って、すでにアルジェリア戦
争で植民地解放闘争に向かいあっていた。旧宗主国が植民地解放闘争と対抗し
なくてはならない状況になったときに、果たして旧宗主国の知識人の言説活動
にどのような影響がそこから生じるのであろうか。言いかえれば、植民地解放
闘争が、旧宗主国知識人の言説活動にどのような影響を(とりわけ暴力に
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